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戸田川 鷲之助(とだがわ わしのすけ、生年不明 - 1773年7月19日〈安永2年5月30日〉)は、玉垣部屋に所属した元力士。 本名は芳野 金治。身長、体重は不明だが色黒で中背だったと伝わる。現在の千葉県安房郡(旧・安房国平郡)出身。 最高位は西前頭2枚目。 1761年10月初土俵(三段目とも四段目〈序二段クラスか〉とも伝わる)、1765年10月十両昇進、その場所7戦全勝を達成した。1770年3月新入幕を果たした。1771年10月場所では、7勝1敗で優勝相当成績となっている。しかし、1773年3月場所後の5月30日、巡業先の大坂にて死去〔古今大相撲事典(ISBN-13: 978-4336018786)〕。生年不明だが、初土俵から逆算すると30代で亡くなったと推算される。 通算 3場所 15勝6敗1預1無1休の成績を残した。優勝相当成績2回(十両時代の1765年10月、幕内で1771年10月)。しかし番付運が大変悪く、優勝した翌場所はいずれも番付が下がる,十両では負け越しが無かった(4勝4敗はあった)にも関わらず入幕まで4年半(9場所)かかるなど悲運の力士でもあった。これは、まだ江戸時代には番付制度が確立されていなかった事や江戸時代(特に18世紀)の相撲の記録が散逸している事などが原因である。 化粧廻しが現存しており、最古の物だと言われている〔06251447 化粧まわしの歴史(今日の中スポさん・norさんのブログ〈2008年6月25日記事〉) 〕。 改名歴は2回ある: 立川 鷲之助 → 立浪 鷲之助 → 戸田川 鷲之助 〔http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3041&l=j〕 == 出典 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「戸田川鷲之助 (明和)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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